ジョゼフィーヌへのプロポーズとイタリア方面軍総司令官への任命
本記事は「ジョゼフィーヌへのプロポーズとその時期のナポレオンを取り巻く状況」について掲載しています。
ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚直前のエピソードです。
ジョゼフィーヌへのプロポーズ
1795年10月にジョゼフィーヌと出会って以降、ナポレオンはジョゼフィーヌに恋をしました。
ナポレオンはジョゼフィーヌの元に通い、多くの熱烈な手紙を送りました。
12月のジョゼフィーヌ宛の手紙には、「女性市民ボアルネへ。朝の7時、私はあなたに満たされて目覚めました。あなたの肖像画と昨夜の陶酔が私の感覚に休息のいとまを与えなかったのです。甘くて比類なきジョゼフィーヌ、あなたはなんという不思議な力を私の心に与えるのでしょう!あなたは怒りを感じていませんか?私はあなたが悲しんでいる姿を見ることになりますか?心配していますか?・・・。私の心は痛みで引き裂かれ、あなたを思う友人の心は一時の休らぎも得られません・・・。ですが、あなたが私を支配する深い愛情に身をゆだねる時、私はあなたの唇の上、あなたの心臓の上を吸い、あなたは私を燃え上がらせている炎を吸い取っていますか?ああ!私は昨夜に気づきました。あなたの肖像画はあなた自身ではないことに。あなたは正午に出発するのでしたね。三時間後にお会いしましょう。私の甘い愛しい人(mio dolce amor)を待っている間、千のキスを送ります。ですが私には何も送らないでください。あなたのキスは私の血を燃え上がらせてしまうから。」と書かれていました。
◎フランス語の原文
A Madame Beauharnais.
Sept heures du matin.
« Je me réveille plein de toi. Ton portrait et l'enivrante soirée d'hier n'ont point laissé de repos à mes sens.
Douce et incomparable Joséphine, quel effet bizarre faites-vous sur mon cour!
Vous fâchez-vous ? Vous vois-je triste ? Êtes-vous inquiète ?..... Mon ame est brisée de douleur et il n'est point de repos pour votre ami..... Mais en est-il donc davantage pour moi, lorsque vous livrant au sentiment profond qui me maîtrise , je puise sur vos lèvres, sur votre cæur, une flamme qui me brûle?
Ah! c'est cette nuit que je me suis bien aperçu que votre portrait n'est pas vous.
Tu pars à midi , je te verrai dans trois heures. En attendant, mio dolce amor, reçois un millier de baisers ; mais ne m'en donne pas , car ils brûlent mòn sang. »
ナポレオンはこの頃にはジョゼフィーヌと呼んでおり、肉体関係にあったこと、ナポレオンがパリにいたことが文面から推察できます。
※ジョゼフィーヌは最初の結婚をする前は近しい人から「イェイェ(Yeyette)」と呼ばれており、最初の夫であるアレクサンドル・ド・ボアルネはこの「イェイェ」という呼び名が幼すぎると感じて気に入らず「マリー・ジョゼフ」と呼んだと言われています。
そして1796年1月、ナポレオンはジョゼフィーヌにプロポーズをしました。
この時、ジョゼフィーヌはナポレオンからダイヤモンドとサファイアの婚約指輪を贈られたと言われています。
それは涙のしずく型にカット(ペアシェイプカット)されたダイヤモンドとサファイアが交互に隣り合うように台座に取り付けられたトワ・エ・モイ(toi et moi)の金の指輪でした。
ナポレオンは熱烈な愛を伝えましたが、2人の子供を養う未亡人ジョゼフィーヌは生活していく上での打算でナポレオンのプロポーズを受け入れたと言われています。
イタリア方面軍総司令官への任命
1796年2月19日、教会における結婚式の禁止令が発布されたことにより、ナポレオンとジョゼフィーヌは教会での挙式を諦めざるを得ませんでした。
2月25日、シェレールに代わる新たなイタリア方面軍総司令官が指名されました。
バラスやカルノーなどの層々たるメンバーがナポレオンを指名したと言われています。
3月初旬までのイタリア方面軍の状況は最悪でした。
ピエモンテの諜報機関ですら、イタリアのフランス陸軍の状態は崩壊寸前であると結論付けていました。
「イタリアのフランス陸軍は食糧から武器、衣類、靴に至るまで、すべてを欠いています。兵士は無給であり、彼らの所持金は貪欲で腐敗した売店によって搾取されている可能性があり、多くの将校は無能で士気の低下が部隊に広がり、時には反乱を起こそうとしています。」と報告しているほどでした。
この状況を打破すべくイタリア戦線に明るくヴァンデミエールの反乱を見事に鎮圧したナポレオンが指名されたのでした。
3月2日にイタリア方面軍総司令官に任命されたナポレオンは、その日にカルノーにイタリアに関する入手可能なすべての書籍、地図、図や表などの資料を依頼しました。
3月7日、ナポレオンを正式にイタリア方面軍総司令官に任命する旨の書簡を受け取りました。
これらの間、ジョゼフィーヌは可能な限り結婚式の準備を行いあらゆる手配をしました。
ナポレオンは軍務に忙しく、碌に結婚式の準備もできなかったと言われています。
急いで結婚証明書を作成した公証人ラガイタウ(Maurice-Jean Raguideau de La Fosse)は、それなりの財産のあるジョゼフィーヌと何の財産もないナポレオンを見てジョゼフィーヌに「この男はあなたに彼のマントと剣だけを持ってきている」と話し、ジョゼフィーヌに対し暗にナポレオンとの結婚はやめたほうがいいと促したというエピソードがあります。
ナポレオンはこの話を耳にしましたが、ジョゼフィーヌに「ラガイタウは賢明な弁護士であり、彼に仕事を任せるべきだ」という内容のことを伝えました。
そして8年後、皇帝の戴冠式の中で、ラガイタウの言ったことを覚えていたナポレオンは招待したラガイダウに「ラガイダウ、今の私のマントと剣についてどう思うか?」と問いかけたと言われています。
3月8日午後、ナポレオンとジョゼフィーヌはサントノーレ通りにあるラガイタウ弁護士事務所で結婚契約書にサインをしました。