サオルジォの戦い 08 Battle of Saorgio 08

サオルジオの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約20,000人 約1,500人
サルディーニャ王国
オーストリア
約8,000人 約2,800人
※この数字には、セリュリエの部隊、ムーレット軍、アルジャントー軍、オネリア守備軍は含まれていない。あくまでサオルジォ近郊で戦った軍の数字である。

その後  After

 ピエモンテのアルプス山脈の防衛線は大きく後退した。この敗戦はピエモンテとオーストリアに大きな衝撃を与え、ピエモンテはアルプスの防衛を、オーストリアは海岸の防衛を担当するという新たな条約を5月29日に締結するにまで至った。

 1794年5月21日、ナポレオンはこの勝利を利用する新たな作戦案を提案した。この作戦案は採用された。

 このときのナポレオンの作戦は、まずアルプス方面軍がアルジャンティ―ラ峠付近にあるピエモンテの強固な防衛線を攻撃、タンド峠を担当するイタリア方面軍部隊がピエモンテ軍を攻撃。イタリア方面軍のモンドヴィ攻略部隊が迂回機動をしオルメア、ガレッシオから肥沃な平原が広がるモンドヴィへ進軍。45,000人のピエモンテ軍を打ち破り、イタリア方面軍の食料、物資の不足を解消する。モンドヴィを占領することによりピエモンテ軍の後背を突き、アルジャンティ―ラ峠、タンド峠の防衛線から後退させるというアルプス方面軍とイタリア方面軍を同時に動かし連携させるという大規模なものであった。

 6月5日、この作戦の第一段階が実行に移され、初めは順調に進行し、アルプス方面軍がピエモンテ防衛線を占領した。しかし、陸軍大臣カルノーはこれ以上イタリア方面軍が進軍することを許可しなかった。というのは、イタリア方面軍がさらに遠方に前線を移すと南フランスで反乱がおきた場合、対応できなくなってしまうこと。そして、この時期ライン戦線で大規模な作戦が動きつつある中で、イタリア方面軍でも大規模な兵力が動くような動きは危険であると考えていたからである。

 こうして、イタリア方面軍の大きな動きは停止され、1794年6月26日、ライン戦線はジュールダン将軍に率いられ約82,000人がフリューラス(Fleurus)でオーストリアを主軸とした同盟軍と戦うこととなる。

サオルジォの戦いの感想Impression

 サオルジォの戦いで最初に抱いていた印象は特に苦難無くナポレオンの作戦が雪のため遅延しながらも成功した戦いだった。しかし、実際は前線で激しい攻防が繰り広げられており、マルタの防衛線を突破したマッセナ軍もその数を減らされ、ギリギリの戦いだったことが分かる。このピエモンテ軍の敗戦は、兵力差もあるが、ピエモンテ軍とオーストリア将官の関係が悪すぎたことも一因である。特にアルジャントーは嫌われていた。

 上官と部下の信頼関係が無いと、その作戦は失敗する可能性が大きい。

 これはマッセナがスペインを任せられたときに、妻を従軍させ妻の快適のためなら何でもした。それによりネイ含む将校の不服従を招いたことを見れば明らかである。

 アルジャントーも危機は分かっていたが、ピエモンテ兵を愚鈍と罵っていることからも分かるが、ピエモンテ兵の不服従に手を焼いたのではないのだろうか。

 そして、戦略的にもアルジャントーが兵力を分散せずに防衛地点を設定し守るべきところを守っていたらこの戦いの行方はピエモンテ軍に傾いていたかもしれない。

 この戦いは標高1,000mを優に超え、1,500m以上の山々もある山岳地での戦いである。山岳地での戦いは、敵拠点を直接攻撃するのは下策であり、敵の弱いところや守っていないところ等を占領し、敵の後背を突き撤退に追い込むか、もしくは敵から自拠点の強い部分に攻撃してもらうように誘導することが基本となる。

 しかし、このサオルジォの戦いを俯瞰した目でみると、確かにピエモンテ軍右翼よりも左翼の方が弱いのはわかるが、それでも十分強固であり、ピエモンテ軍の防衛線へ兵力差を利用して全体攻撃を仕掛け、ピエモンテ軍の弱いところが崩壊していったように見える。フランス軍もある程度均等に兵力を割り振っていた感じがあり、特にフランス軍右翼を厚くして攻撃したわけでは無いから余計そう見えてならない。

 フランス軍右翼もアルデンテではマッセナも攻略を諦めていたし、フランソワもサッカレロにさえ到達できなかった。ギリギリの戦いの中、マルタを占領できたのである。

 ただ、このマルタ占領が大きかった。これでピエモンテ軍は後退を余儀なくされたわけである。

 最後に、マッセナについてだが、ガレッシオにはマッセナが率先して物資の調達(略奪)に行ったよねと思ってしまう行動であること。そして、マッセナの回想録でこのサオルジォの戦いのナポレオンの当初の作戦は失敗し、作戦の変更は自分が立てて実行したという主張が大きいところがマッセナらしいと思ってしまう。

参考文献References

André Masséna著 「Mémoires de Masséna 第一巻」
デイヴィッド・ジェフリー・チャンドラー著 「ナポレオン戦争 第一巻」
その他