ロアノの戦い 03:ロアノの戦いの序盤 Battle of Loano 03
ロアノの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | 約25,000人 | 約1,700人 |
オーストリア サルディーニャ王国 |
約18,000人 | 約4,000人 捕虜:約4,600人 |
ロアノの戦い(序盤)Battle of Loano
1795年11月22日、マッセナはイタリア方面軍中央の部隊をズッカレロに集め、スピーチをし、中央軍の士気を大いに高めたと言われている。ズッカレロの「3つの悪魔亭(Osteria dei tre diavoli)」でマッセナと麾下の将校達の会議が行われた。
そしてその夜、マッセナ師団は静かに目標に向かって進軍した。
11月23日夜明け、右翼オージュロー師団の砲撃から戦闘は始まった。山からの砲撃の後、9隻の攻撃艇が海岸を攻撃した。高所では雪が降っていた。
バネル旅団はトイラーノにあるシャルトリューズの塹壕地帯を攻撃した。激しい抵抗に合いバネル少将は負傷して戦線を離脱した。
旅団の指揮権はランヌ大佐に託された。
ルスカ旅団はルカヴィナ少将が防衛する大カステッラーロの塹壕地帯があるボイッサーノへ向かった。
ヴィクトールはロアノ正面を攻撃した。
中央のマッセナ師団は モンテ・リンゴ ~ ロッカ・バルベナ までの塹壕地帯の麓に到着した。夜と静寂のおかげで発見されることがなかったのは幸運だった。
マッセナ師団の各旅団は各々の攻撃目標に向かって攻撃を開始した。この夜明けでの薄暗い中の奇襲は拠点を防衛するリプタイ少将とテルニシー少将を大いに驚かせ慌てさせた。ロッカ・バルベナを防衛するリプタイとシャルトリューズを防衛するテルニシーは司令部に敵襲の報を即座に送った。
奇襲が成功しピエモンテ兵・オーストリア兵を驚かせたにも関わらず、1回目のマッセナ師団の突撃はすべて撃退された。
ロッカ・バルベナを攻撃したシャーレット中将はこの1回目の突撃時、シャーレットが塹壕に突入したところ頭部を撃たれ戦線を離脱した。
指揮官の戦線離脱により、シャーレット師団は浮き足立ち、統一した行動ができないでいた。
マッセナはシャーレット負傷の報を聞くと即座に中央の部隊を集めて分遣隊を作り、シャーレット師団を支援し、秩序回復のために奔走した。
シャーレット中将はこの戦闘の4日後、11月27日に亡くなった。享年39歳だった。
何回かの突撃の後、ロッカ・バルベナを攻撃していたサン・ティレール少将が左手の指を2本失った。オーストリア軍の抵抗も苛烈を極めた。
マッセナは圧倒的な数的優位を生かし、その後も粘り強く突撃を繰り返し、長時間攻撃し続けた。この長時間の攻撃がオーストリア軍を圧倒した。
オーストリア軍を分断するまであと一歩だったが、オーストリア軍もそれを察しておりバルディネートへと後退した。
ラハープはモンテ・リンゴを占領。マッセナはロッカ・バルベナとスクラベイオンを占領した。
このスクラベイオンの占領は重要だった。ボルミダ渓谷から海岸線一帯を見渡せる戦略的な重要地点だったのである。
オーストリア軍もそれを理解しており、圧倒的な兵力差にもかかわらず、何度も突撃を繰り返さなければ占領できないほど防備は強固だった。
デ・ヴィンスが今年中のフランス軍の侵攻は無いと考えていなかったら、戦闘はもっと長引いたと考えられる。
そして長引いた結果、オーストリア軍の大規模な援軍が到着した場合、スクラベイオン周辺の攻略は困難だっただろう。
フランス軍侵攻の報を受けたアルジャントー少将は約7,000人の兵を率い即座にスクラベイオンに向かったが、時すでに遅く、スクラベイオンの守備隊はバルディネートまで後退していた。
アルジャントーはバルディネートへ後退した守備隊を集め、バルディネートでの時間稼ぎを命じ、自身は防衛線を構築するために後退した。
残されたオーストリアの守備隊はバルディネートにある古城に立てこもり、防備を固めた。
マッセナはラハープに一時的にモンテ・リンゴからロッカ・バルベナの防衛を任せ、自身はシャーレットが指揮していた師団とともにバルディネートへ進軍した。
マッセナはアルジャントーの後退を見て、アルジャントーに防衛準備をさせる時間を与えたくなかったので、ラハープにボルミダ渓谷の左岸を通りカリッザーノの入り口で待つように命じた。
シャーレットが指揮していた部隊はピジョン少将に指揮権が渡された。
一方、セリュリエ師団はタナロ川左岸の部隊は、ガレッシオ手前のトラッパでピエモンテ軍と対峙し、セリュリエ中将はソプラナ、セリソラを通り、サン・ベルナルドを正面から攻撃していた。