ロアノの戦い 04:ロアノの戦いの中盤 Battle of Loano 04
ロアノの戦い
勢力 | 戦力 | 損害 |
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フランス共和国 | 約25,000人 | 約1,700人 |
オーストリア サルディーニャ王国 |
約18,000人 | 約4,000人 捕虜:約4,600人 |
ロアノの戦い 中盤Battle on the coast
フランス軍右翼のルスカ旅団はルカヴィナ少将麾下1,200人が守るカステッラーロの塹壕を数度に渡り攻撃したが撃退された。
ヴィクトール旅団はロアノ正面でオーストリア部隊へ攻撃を仕掛けていた。
シャルトリューズを防衛しているテルニシー将軍は防衛兵力が少なく、ランヌ旅団の攻撃が苛烈であったため戦線崩壊の危機に瀕していた。
このままではシャルトリューズを突破されてしまうという危機感からかテルニシーはシャルトリューズの塹壕内で兵力を集め、ボルゲット・サン・スピリットで戦闘をしているヴィクトールの左を突こうと間隙を縫うように塹壕内から打って出た。
シャルトリューズに残された部隊はビカソヴィッチ大佐が指揮をした。
テルニシーの部隊は最初の村を警備していたフランスの一部隊を突破しヴァラテラ川に降りた。
ここでテルニシーの突撃を撃退できなければロアノ正面で戦闘をしているヴィクトール旅団は左後方を突かれて崩壊する。
オージュローはヴィクトール旅団左翼を守るために最大限の兵力をドマルタン少将に預けテルニシーを追い払うように命じた。
このドマルタン少将はトゥーロン攻囲戦時にオリウール村での小さな戦闘で負傷し、ナポレオンと交代した砲兵隊長である。
ドマルタン少将はテルニシーの部隊をトイラーノに押し込み、追い払った。それから右に転進し、ランヌ旅団と協同してビカソヴィッチが防衛するシャルトリューズを破壊し、配備された砲台を鹵獲した。ビカソヴィッチはシャルトリューズの後方にあるサン・ピエトロ山の修道院に後退した。
ドマルタンは修道院に立て籠もったオーストリア兵をランヌ大佐とともに包囲して攻撃した。ビカソヴィッチは強く抵抗したが数的劣勢により撤退し、逃げ遅れた者は降伏した。
スクラベイオン周辺から逃亡してきた兵士が、テルニシーにスクラベイオン周辺の敗走を報告した。
テルニシーは自身が完全に包囲されていることを悟り、約800人の兵とともに降伏した。
この時、シャルトリューズを防衛するオーストリア兵はシャルトリューズを防衛するには少な過ぎたため、少ない兵力をさらに分散せざるを得なかった。
各防衛地点で兵力が不足していたのである。そのためシャルトリューズは比較的容易に戦線崩壊寸前に追い込まれた。
しかし、未だオーストリア軍はボイッサーノにあるカステッラーロの塹壕地帯を保持していた。
ピエモンテ・オーストリア軍総司令官ウォリスはシャルトリューズの惨状を見てロアノを放棄することを決断し、オーストリア軍中央のアルジャントーと戦線を合わせるように中間地点であるピエトラへ後退した。
ロアノを守るオーストリア軍の後退に合わせ、ヴィクトールは戦線を押し上げルスカ旅団の支援に向かった。