サオルジォの戦い 03 Battle of Saorgio 03

サオルジオの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約20,000人 約1,500人
サルディーニャ王国
オーストリア
約8,000人 約2,800人
※この数字には、セリュリエの部隊、ムーレット軍、アルジャントー軍、オネリア守備軍は含まれていない。あくまでサオルジォ近郊で戦った軍の数字である。

侵攻作戦の始まりBattle Start

 1794年4月5日、デュメルビオンは約43,000人の野戦軍から精鋭20,000人を選別。予備軍含む4つの軍に分け進軍を始めた。

 マッカード(Macquard)軍・・・約4,000人
 マッセナ(Massena)軍・・・約5,000人(ハンメル旅団、レブルン旅団)
 ムーレット(Mouret)軍・・・約6,000人(ブルスレ旅団、セルヴォニ旅団、派遣議員及びボナパルト少将)
 フランソワ(François)予備軍・・・約5,000人

 デュメルビオン自身は痛風のため動くことができずニースに留まった。

 ムーレット軍は特に抵抗も受けず、4月8日午後3時頃、オネリア近郊まで進軍、ピエモンテ軍と対峙した。マッセナ軍はマルタ近辺の山岳地帯を占領し、ピエモンテ軍と対峙していた。フランソワ予備軍は予定通りドルチェアクアに進んでいた。

 しかし、ボナパルト少将の立案した侵攻作戦は、初めは順調に進んでいたが徐々に狂い始めていた。

 マッカード軍が雪で遮られロイヤ川を渡れないでいたのである。マッカード軍がサオルジォ東でピエモンテ軍と対峙できていないとマッセナ軍が孤立する。マッセナ軍はマッカード軍が足止めをくらったことによる孤立と山の変わりやすい天候、寒さや絶壁での作戦行動だったため、徐々に疲弊していった。これ以上の進軍もできず、他の軍と連絡を取り合うこともできなかった。

オネリア攻略戦Attack on Oneglia

 4月8日、ムーレット軍はオネリアのすぐ隣のポルト・マウリツィオにおいてオネリアの様子を偵察したとき、ピエモンテ軍がオネリアとポルト・マウリツィオの間にある山で戦闘準備をしつつあることを発見した。ほんの少しの攻撃の遅れがピエモンテ軍に組織的な防衛をする時間を与えると判断したムーレット軍首脳は、ムーレットにオネリアの攻撃命令を即時下した。

 オネリアではデ・ヴィンスが派遣した4,000人のピエモンテ軍がモンテ・バルデニーリで大砲を据え付け戦闘準備をしていた。

 4月8日午後3時頃、先行していたセルヴォニ旅団がオネリアを目にした。

 ムーレット軍はオネリア守備軍と対峙するとピエモンテ軍の大砲の射程外ぎりぎりの位置を確保し、付近の森と谷に分遣隊を派遣し捜索させた。そして軍を2つに分けた。1つ目の軍は正面からオネリアを攻略。2つ目の軍はオネリア守備軍のオルメア方向への退路を断つために回り込むように機動した。

 その時、街で火事が起こり、それに動揺したピエモンテ軍はオルメア方向へ撤退していった。

 オネリアの住民もピエモンテ軍に付いて避難していった。よほど慌てていたのかピエモンテ軍は12個の大砲と多くの食料等の物資を残していった。

 ムーレット軍はほとんど無傷でオネリアを占領した。オネリアは静まり返っていた。街に入るとムーレット軍は破壊と略奪を始めた。ムーレット軍首脳陣はそれに目を瞑った。

 その後、ムーレット軍はセルヴォニ旅団を分離し、海岸沿いのロアノに向けて進軍させた。ロアノには僅かなオーストリア守備隊が配置されていたが、セルヴォニ旅団は抵抗も無く4月9日にロアノを占領した。

作戦計画の変更Change of strategy

 4月9日、マッセナはムーレット軍と連絡を取り合うためににタッジャの北にあるモンタルトまで後退した。しかし、ムーレット軍はすでに先を進軍し、オネリア、ロアノを占領していた。マッセナはモンタルトに兵力を集結させた。その際、マルタ近辺の占領した山にレブルンの部隊を残し、トリオラに1個大隊を配置してそれを支援させた。

 マッセナの作戦行動が失敗したことを知ると、サリセッティとロベスピエールはマッセナに手紙を送った。

 4月11日、マッセナはオネリアに赴いた。派遣議員たちはマッセナの作戦の失敗を厳しく叱責した。マッセナ軍の後退により、当初計画していた作戦は使い物にならなくなった。ムーレット軍・マッセナ軍は作戦の変更を迫られることとなる。