サオルジォの戦い 05 オルメア、ガレッシオの占領 Battle of Saorgio 05


サオルジオの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約20,000人 約1,500人
サルディーニャ王国
オーストリア
約8,000人 約2,800人
※この数字には、セルヴォニの部隊、ムーレット師団、アルジャントー旅団、オネリア守備隊は含まれていない。あくまでサオルジォ近郊で戦った部隊の数字である。

ポンティ・ディ・ナーヴァ攻略戦  Attack on Ponte di Nava

 ムーレット師団とマッセナ師団はムーレット師団・レブルン旅団・ブルスレ旅団で構成され、計8,500人の軍団を形成した。

 4月15日、最初にオネリアからブルスレ旅団が出発し、その後に派遣議員とボナパルト少将が続いた。次にムーレット師団とマッセナ率いるレブルン旅団がトリオラとモリニから出発した。

 4月16日、ムーレットはポンティ・ディ・ナーヴァへ到着し攻撃命令を受けた。

 ポンティ・ディ・ナーヴァにはタナロ川が流れており、二つの橋が掛けられていた。ムーレット・マッセナ師団はタナロ川の南側に前衛部隊を配置し、ピエモンテ軍と対峙させた。

 川の北側にいるアルジャントー旅団はポンティ・ディ・ナーヴァに6個大隊(約2,000~3,000人)を配置していた。そして、ポンティ・ディ・ナーヴァの2つの橋を守るために2個大隊を残し、4個大隊がオルメア方面に退却を始めた。

 ムーレット・マッセナ師団はサン・ベルナルドから進軍しているラアルプの部隊を待ち、ラアルプの部隊が到着後に攻撃を始めようとした。しかし、兵の一部がピエモンテ軍の前哨基地に攻撃を始め、ピエモンテ軍は塹壕に身を隠してしまった。

 ムーレット・マッセナ師団の3個大隊が前線に到着し、長くもなく致命的でもない攻撃の後、2つの橋でムーレット・マッセナ師団を足止めしていたピエモンテ軍2個大隊はオルメア方面に撤退していった。



オルメア、ガレッシオ攻略Attack on Ormea and Garessio

 ムーレット・マッセナ師団は未だ健在なアルジャントー率いるピエモンテ軍左翼を撃破するため、ポンティ・ディ・ナーヴァから撤退していったピエモンテ軍を追いオルメア方面に進軍した。

 4月17日、マッセナはオルメア攻撃命令を受け、オルメアに向かった。オルメアに着いたマッセナはオルメア守備隊司令官に降伏勧告を行った。オルメア守備隊司令官はこれを受け入れ、オルメア守備隊は武装解除され、捕虜となった。オルメア守備隊が立て籠もっていた古びた城には12個の大砲(内野砲2個)、その他軍需物資等があった。

 オルメアを占領したムーレット・マッセナ師団は、セルヴォニ旅団にオネリアとロアノの守備隊を最小限に抑え、ピエーヴェに向かうように指示をした。

 アルジャントー旅団はチェバ、モンドヴィまで完全に後退していた。そこでマッセナはオルメアから北東に13㎞ほど離れているガレッシオで現地調達を行う必要を感じ、17日の深夜、ガレッシオに向かった。

 この時マッセナが率いていた部隊は約4,600人であり、大砲も4門しか配備されていなかった。もしアルジャントーが兵力を集中してガレッシオを防衛していたとしたら、マッセナはこの時率いていた兵力でアルジャントーと戦闘することはなかっただろう。

 4月18日、マッセナ師団がトランペットを鳴らすとガレッシオの住民は門を開けた。何の抵抗も無くガレッシオを占領し、街から物資を調達した。ガレッシオには食料が豊富にあり、フランス兵の胃袋を満たすことができた。

 ムーレットにガレッシオを託し、マッセナは派遣議員とボナパルト少将のいるオルメアに戻った。



サオルジォの戦い(序盤)Battle of Saorgio

 コッリはピエモンテ軍総司令官デ・ヴィンスから防衛線を保持するように、そして防衛に必要のない兵を送り返すように命令を受けた。

 デ・ヴィンスはアルジャントーの敗北により、チェバ、モンドヴィ方面の防衛のため兵を割かざるを得なかった。

 マッセナとムーレットは軍を再編し、ムーレットは12個大隊(約3,500人~6,000人)でガレッシオ、オルメア、ポンティ・ディ・ナーヴァ等占領した街の防衛。マッセナは主力を率い、フランソワ旅団と協力してピエモンテ軍中央を突破するために マルタ ~ サッカレロの攻略に向かった。

 マッセナ師団は雪と断崖に覆われた山岳地帯での進軍だったため、オルメアから前線に到着するまでに5~6日を要した。

 その後、ムーレット師団はアルジャントーが介入してこないように、チェバ、モンドヴィ方面へ軍を動かし偽装を施してオルメア、ガレッシオ、ポンティ・ディ・ナーヴァを撤収した。

 4月24日、ガルニエ中将、マッカード少将率いるフランス革命軍左翼、中央が北上したため、ピエモンテ軍の一部とサオルジォで衝突した。そしてこれを契機として交戦を開始した。

作戦図①・・・サオルジォの戦い(序盤)

 マッセナはフランソワに対して、サッカレロへの攻撃を命令し、フランソワはそれに応えた。

 フランソワ旅団は二手に分かれ、一つはトリオラからモンテ・ペレグリーノを経由しロッカ・バルボネを攻略に向かい。もう一つはメンダーリカからタナレロ山の攻略に向かった。

 マッセナ師団は戦力を集中し、コッリによって奪われたマルタ周辺の山々を取り返した。