トゥーロン攻囲戦 02 第一次ケールの丘攻防戦 - Siege of Toulon 02

トゥーロン攻囲戦

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約32,000人 約1,700人
フランス王党派
グレートブリテン王国
スペイン王国
ナポリ王国
シチリア王国
サルディーニャ王国
約17,000人 約2,100人
 

カルトーの作戦(予想)Carteaux's strategy

 だいたいの資料にカルトーは何の作戦も無く優柔不断ということが書かれているが、ボナパルト大尉がマルブスケ要塞を攻略するために10月15日~10月19日にかけて4つの砲台の建設を要請されていることから、カルトーはマルブスケ要塞の攻略を主軸に考えていたと思われる。

 10月15日以前のカルトーについても、やはりボナパルト大尉やラポワプ将軍の作戦に対して消極的だったことから、目の前のマルブスケ要塞攻略を考えていたのではないだろうか。ラポワプ将軍がファロン山東の要塞に攻撃する作戦を示し、カルトーに決断をさせようとしたときに優柔不断な態度をみせたのもその時点でマルブスケ要塞は落とせるように思えなかったからだったのではないだろうか。

 ただ一般的にはカルトーとラポワプは不仲で感情的にラポワプの作戦に手を貸さなかった。という話である。

第一段階・・・ラポワプ師団がファロン山東要塞に攻撃(助攻)、同盟軍の注意を引き付ける

第二段階・・・砲台の支援を受けて、カルトー師団がマルブスケ要塞を総攻撃し、占領

第三段階・・・トゥーロン要塞攻略

 ラポワプの作戦ではラポワプ師団が主攻となり最終的にマルブスケ要塞を落とすことを考えていたが、カルトーの作戦では、ラポワプ師団の攻撃は助攻であり、主攻はカルトー師団となる。

ナポレオンの作戦Napoleon's strategy

 青・・・フランス革命軍、 赤・・・同盟軍

 第一段階・・・小停泊地を見渡せるガレーヌの丘、小停泊地西岸にあるブレガイヨンの丘に砲台を建造。(青いが砲台)小停泊地にいる同盟艦隊を砲撃し、ロワイヤル塔方面へ退避させる

 第二段階・・・ケールの丘に布陣している同盟軍を撃破し、ケールの丘を奪取(赤い同盟軍の陣取っている場所の中心がケールの丘)

 第三段階・・・トゥーロン西側の半島先端に位置しているレギエット砦とバラキエ砦を奪取

 第四段階・・・レギエット砦に大砲を据え付け、トゥーロン港及び近海を航行する同盟艦隊を砲撃し、トゥーロン湾の制海権を確保。トゥーロンを完全包囲する

 ※海側の主攻しか書いていないが、陸側では助攻、攻囲は続けている。

序盤の戦闘経過Battle progress

 9月17日夕方、ボナパルト大尉は同僚のマシュー砲兵大尉とともに大砲や堡塁建設のための人員を周囲の村から集め、ガレーヌ(Garenne)の丘への砲台の建設を開始した。

 9月18日朝、小停泊地を見渡せるガレーヌの丘の中腹に「モンターニュ砲台」が完成した。

 9月19日、モンターニュ砲台からの短時間の砲撃で小停泊地(ラ セーヌ村沖合)に停泊していたフッド提督艦隊所属のフリゲート艦1隻をトゥーロン港方面へと退避させ、乗員や貨物を運ぶ小舟を追い払った。この退避したフリゲート艦は損害が酷く、乗組員が避難した後、沈没した。これにより小停泊地の制海権はフランス革命軍に移り、同盟艦隊は小停泊地からマルブスケ要塞及びケールの丘近辺の味方の支援はできなくなった。

 9月20日、ボナパルト大尉はモンターニュ砲台だけでは小停泊地の制海権を安定的なものにするには不安があると考え、より広い制海権を奪取するために、小停泊地西岸の海沿いにあるブレガイヨン(Bregaillon)の丘に「サン・キュロット砲台」を建設した。

 フッド提督はサン・キュロット砲台は危険であると感じ砲台を沈黙させようとした。しかし、高低差によりサン・キュロット砲台からの砲撃は同盟艦隊を射程内に捕らえているが、同盟艦隊の砲撃はサン・キュロット砲台を射程内に捕らえることができなかった。同盟艦隊はあえなく撃退された。

 同盟軍総司令官マルグレイブは、フランス革命軍の高地からの砲撃の脅威が増大していることを目の当たりにし、高さが必要であると考え、ケールの丘を占領することの重要性を認識した。

 マルグレイブはすぐさま行動し、9月21日午前2時頃、トゥーロンから約350名のスペイン兵を、ラマルグ要塞から約150名のイギリス兵をレギエット砦とバラキエ砦のある半島に上陸させ、夜明け前にケールの丘を占領した。

 9月21日、ボナパルト大尉は総司令官カルトーにケールの丘への攻撃を催促し、ケールの丘のある半島への攻撃が決まり、夕方、ドラボルド少将麾下約700名の兵士を派遣した。ここでケールの丘を占領できればトゥーロン陥落まであと一歩であった。しかし、ドラボルド少将は大きな損害を受けて撤退、ケールの丘への攻撃は失敗に終わった。

 ここで疑問になるのは、以前よりボナパルト大尉がケールの丘の重要性に気付いていたとしたら、なぜケールの丘に事前に兵力を配置しなかったのか?である。可能性としては、①カルトーに掛け合ったが拒否された、②この時点ではケールの丘の重要性にボナパルト大尉自身気付いていなかった。③ケールの丘の重要性に気付いていたが、小停泊地の制海権を握ってからと考えていた等、様々な可能性が考えられる。

 ①の場合、カルトーが無能だったからですむ話であるが、もし②の可能性を追う場合。理由として考えられるのは、事前にケールの丘の戦略的重要性に気付いていて、ケールの丘を偵察したのであれば同盟部隊がほぼいないということが分かっており、ケールの丘を占領してから小停泊地西岸に砲台を建設した方が(もしくは同時進行)、ケールの丘を確保しやすいのではないかと考えられる事である。21日にケールの丘が同盟軍によって占領されてはじめてボナパルト大尉自身、ケールの丘占領 → レギエット砦占領 → トゥーロン完全包囲の道筋を立てられたのではなかという推論が成り立つ。

 ③の場合、ケールの丘を優先的に確保しなかった理由として、レギエット砦、バラキエ砦の存在もあるが、ケールの丘のある半島部分の周囲の制海権は同盟艦隊が握っており、ケールの丘一帯を確保する場合、海側からの支援を排除する必要があった可能性である。

 もし②の可能性を追うならば、21日の同盟軍のケールの丘占領によってケールの丘が重要地点であると気付いたボナパルト大尉は、ケールの丘が占領された責任はカルトーにあると同郷の派遣議員であるサリセッティに言ったのではないか、そしてそれをサリセッティは公安委員会に報告したのではないかと推測される。

 このように推察すると、②の可能性を追う場合、モンターニュ砲台、サン・キュロット砲台の建設の当初の目的は、小停泊地の制海権を握り、マルブスケ要塞へ海側からの支援を行えなくするためと考えられる。

 そもそも、この時のケールの丘周辺への派兵は、ケールの丘の占領が目的では無く、レギエット砦とバラキエ砦攻略のために派兵し、ケールの丘で遭遇しただけという可能性もある。

補 足

 まず、モンターニュ砲台の位置であるが、ほとんどの資料は海岸沿いに配置されている。しかし、いきなり海岸沿いに砲台を設置しようとしても、それをフッド提督が許すのか?という疑問があった。そして、調べていくと、☆を配置した位置に、ガレーヌの丘があり、Montee Batterie de la Montagneという道を見つけた。モンターニュ砲台の☆の位置はそれが理由である。

 もしモンターニュ砲台が海岸沿いにあったとしたら、フッド提督はサン・キュロット砲台攻撃の時にモンターニュ砲台も攻撃したはずである。つまりモンターニュ砲台はフッド艦隊が攻撃しようと考えないほど、はるか射程外にあったと考えられる。

 モンターニュ砲台の建設の目的は、ブレガイヨンの丘のサン・キュロット砲台建設を支援するためだったのではないかだろうか。そしてもしかしたらモンターニュ砲台をガレーヌの丘からブレガイヨンの丘に移動したのではないだろうか。

 次にケールの丘が重要地点だとナポレオンが認識した時期についてと第一次ケールの丘攻防戦の目的についてだが、ナポレオンはそもそもケールの丘を占領することを目的としておらず、レギエット砦、バラキエ砦を占領するために部隊を派遣したのだと考えている。第一次ケールの丘攻防戦はフランス革命軍にとっては遭遇戦だったという考え方である。

 遭遇戦だったことを前提として考えるとナポレオンは21日にケールの丘に派遣された同盟軍のことは把握しておらず、レギエット砦、バラキエ砦が弱点であることは把握していたがケールの丘が重要地点だということは気付いておらず、第一次ケールの丘攻防戦の後に気付いたと推測できる。

 ただレギエット、バラキエの両砦を攻略するにしても貧弱な兵力と装備なので、カルトーは本気じゃなかったか、もしくは見積もり自体が甘かったと考えらる。(単にナポレオンの言うことを聞くのが嫌だった可能性も否定できない)