デジレ・クラリーとの結婚の約束と陸地測量部への転属

本記事ではフランスの英雄ナポレオン・ボナパルトの「最初のデゴの戦い」の後から「ヴァンデミエールの反乱(ヴァンデミエール13日のクーデター)」の前までを掲載しています。

ナポレオンは左遷の憂き目に合い、デジレとの婚約も認められず、不遇の時期を過ごしました。

まだ世に名を知られていない時期のナポレオンのエピソードです。


デジレとの結婚の約束と辞表の提出

1794年の終わり頃、ボナパルト一家はアンティーブから再びマルセイユに移り住みました。

フランス政府からローマ通りにあるかつてはきらびやかだった廃墟同然のオテル・シピエール(Hotel Cipières)を与えられました。

母レティシアは収入が少ないにもかかわらず廃墟同然の建物を居心地の良い住まいに変えたと言われています。

ナポレオンはイタリア方面軍の任を解かれ、1795年3月に行われる予定であるコルシカ遠征軍に配属となりました。

しかし、イギリス海軍所属の分遣隊がフランス艦隊を壊滅させたことにより遠征は取りやめになりました。

4月、ナポレオンはクラリー家の令嬢デジレ・クラリーと両家の承認のない個人同士の結婚の約束をします。

この時ナポレオン25歳、デジレ17歳でした。

そして5月、イタリア方面軍からヴァンデ方面軍への異動を命じられました。

ナポレオンはこの左遷命令に抗議し、その結果、西軍への異動辞令を受け取りました。

ヴァンデ方面軍も西軍も沿岸警備と治安維持、反乱鎮圧任務が主であるため砲兵将校として他国との陸戦を望んでいたナポレオンの意向にそぐわない辞令でした。

不満の塊となったナポレオンは仮病を使い、病気療養のための休暇を申請しパリに留まりました。

しかし政治的に昇進した年配者は左遷されていないことを知ったナポレオンは激怒し、6月21日に辞表を提出しました。

この時期のナポレオンは左遷の憂き目に合い、恋仲であるデジレとの婚約はクラリー家の家長であるデジレの兄に認められず自暴自棄となっていたのです。

ナポレオンは、デジレの姉シェリーを妻に持つ兄ジョセフにデジレとの婚約を催促し「デジレとの結婚が認められなければ、戦地に赴いて死ぬ」という脅迫めいた手紙を送ったと言われています。



イタリア方面軍の危機と陸地測量部への転属

辞表を提出した8日後の1795年6月29日、イタリア方面においてオーストリア軍の大規模侵攻が始まり、イタリア方面軍はボルゲット・サン・スピリット、オルメアまで後退。ロアノ、ガレッシオはピエモンテ・オーストリア軍の手中に落ちました。

総司令官ケレルマン中将は「すぐに増援が派遣されなければニースの保持すら危うい」ことを本国に連絡しました。

この危機にイタリア方面に明るく作戦立案能力のある人物として辞職許可待ちであったナポレオンの名が挙げられ、ナポレオンは陸地測量部(Bureau Topographique)に配属させられました。

陸地測量部はフランス軍の参謀本部機能を持つ機関であり、ナポレオンはそこでイタリア方面の作戦計画を立案する任務を行いました。

この辞令はナポレオンの望んでいたものであり、ナポレオンはすぐに反攻作戦の計画案を公安委員会に提示しました。

中央はピアン・ディ・プラティの前哨基地とその背後の強固なオーストリア軍拠点ロッカ・バルベナを突破し、海岸沿いを攻め上る右翼とピエトラ周辺で合流し、その後ヴァドへと攻め上る。左翼は2列に分かれてチェバを攻略するという計画でした。

チェバはオーストリア軍とピエモンテ軍の連絡線遮断のために、ヴァドはジェノヴァとの貿易を再開するために必要でした。


恋愛小説「クリッソンとユージェニー(Clisson et Eugénie)の執筆」

1795年秋頃(恐らくヴァンデミエールの反乱前までに)、ナポレオンはデジレとの結婚が認められない今の自分の状況を顧みて、妻をとられた主人公クリッソンが戦地に赴いて自ら戦死する道を選択するという悲劇的な内容の恋愛小説「クリッソンとユージェニー(Clisson et Eugénie)」を執筆しました。

恐らくユージェニーという名前はユージェニー・デジレ・クラリーから取っていると考えられます。

クリッソンとナポレオンの状況に違いはあるものの、恋人(妻)と第三者が原因で別れなければならず、クリッソンは戦地で自ら戦死を選択し、ナポレオンは兄ジョセフに「デジレとの結婚が認められなければ、戦地に赴いて死ぬ」という手紙を送りクリッソンと類似した思いを抱いていたところに共通点があります。

激情によって執筆された「クリッソンとユージェニー」はまさにこの時点のナポレオンの気持ちや思いを表しているでしょう。


◎ナポレオン・ボナパルト著「クリッソンとウージェニー」(英語版)


◎ナポレオン・ボナパルト著「クリッソンとウージェニー」(イタリア語版)


◎ナポレオン・ボナパルト著「クリッソンとウージェニー」(フランス語版)


※日本語版は出版されていませんが、英語版をKindleで購入しコピペをしてグーグル翻訳などを利用すれば外国語でも手軽に読むことができます。

デジレとの結婚が認められない失意のナポレオンの著作は一読の価値ありです。