ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式

本記事は「ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式」について記載しています。

ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式は異例だらけであり、ナポレオンの結婚を知ったデジレから非難と祝福の手紙が届きました。

ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式とその後の知られざるエピソードです。


ナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式

1796年3月9日夜、ナポレオンとジョゼフィーヌはパリ2区にある市庁舎で待ち合わせをしていました。

市庁舎の2階にある「結婚の間」で市民結婚式(シビルウェディング)を行う予定だったのです。

当時の市庁舎はかつてモンドラゴン家が所有していた豪奢な2階建ての邸宅であり、結婚の間はその2階にありました。

花嫁であるジョゼフィーヌは証人達とともに時間どおり夜8時に到着しましたが花婿であるナポレオンはいっこうに姿を現しません。

待っていた登録官も遂に痺れを切らし、後のことを他の者に任せて出ていきました。

残された者たちは燭台に立つ1本のロウソクの灯りに照らされ、薄暗い中で待っていたと言われています。

2時間ほど経過し市庁舎の役人や執政の1人であるポール・バラス、議員ジャン=ランベール・タリアン(タリアン夫人の夫)、ジョゼフィーヌの2人の子の家庭教師であるジェローム・カルメレット(Jérôme Calmelet)などの証人達も苛立ち始めた頃、階段を駆け上がる音が聞こえてきました。

ナポレオンは副官であるレマロワを伴い、勢いよく結婚の間のドアを開けました。

仕事を放り出し、急いで駆け付けてきたナポレオンは式の開始を急がせました。

ナポレオンはボロボロのイタリア方面軍で数的優位なピエモンテ・オーストリア連合軍を打ち倒す計画を立案し、様々な手配をしていたためとても忙しかったのです。

ナポレオンは5分ほどで式を挙げ、宣誓供述書にサインしました。

※教会で結婚式を挙げる場合は洗礼証明書を使いますが、市民結婚式の場合は宣誓供述書を使います。

このナポレオンとジョゼフィーヌの結婚式は異例だらけでした。

登録官は仕事を投げ出して退出し、証人となったレマロワは既定の年齢に達していませんでした。

さらにナポレオン26歳、ジョゼフィーヌ32歳でしたが、2人とも年齢を偽り28歳と記入し、誕生日も偽りました。

年齢については後に嘘が発覚して修正されたと言われています。

もしナポレオンが2年早く生まれていたなら、ナポレオンはフランス人ではなくジェノヴァ人だったはずですが、当時の結婚手続きはそこまで厳しくなかったのでしょう。

ナポレオンの家族もジョゼフィーヌの家族も出席しない結婚式でした。

ボナパルト家の面々に招待状は送られず、誰もナポレオンが結婚することを知りませんでした。

その後、1796年中に結婚指輪がジョゼフィーヌに贈られました。

それは「Au destin(日本語訳:運命の下に)」と刻まれ「NB」と型取られた金の指輪で、黒エナメルで装飾されていたと言われています。



結婚式後のエピソード

ささやかでせわしない結婚式の後、幾人かとともにシャントレーヌ通り(Rue Chanteraine:現在のRue de la Victoire)にあるナポレオンとジョゼフィーヌの小さな私邸に赴きました。

そこではジョゼフィーヌが飼っていた雑種犬(パグという説が有力)フォルトゥネ(日本語訳:幸運)が待っていました。

◎フォルトゥネに怯えるナポレオン

フォルトゥネはナポレオンがこれから二人の住まいとなるジョゼフィーヌの私邸(オテル・シャントレーヌ)に入ろうとしたとき、玄関前に立って威嚇し、ナポレオンが家に入るのを邪魔しました。

◎ナポレオンを威嚇するフォルトゥネ

そしてナポレオンはこの忌まわしい小さな家族の紹介をしながら、昨夜ジョゼフィーヌとともにベッドで寝ていたところフォルトゥネに噛まれた話をし、噛まれたところを客に見せ、笑いを誘うのと同時にヴァンデミエールの反乱鎮圧で無傷だったことを自慢したというエピソードが残されています。

ナポレオンはジョゼフィーヌにフォルトゥネと一緒に寝るか他の場所で寝るしかないと言われ、一緒に寝ることを選んだところ噛まれたとのことでした。

フォルトゥネはジョゼフィーヌやその子であるウジェーヌ、オルタンスには懐いていましたが、ナポレオンに懐くことはありませんでした。

翌日、ナポレオンは養女となったオルタンスの通う学校に突然赴き、読み書きのできない14歳の妹カロリーヌを通わせる手続きをしたと言われています。

ナポレオン・ボナパルトへの改名

1796年3月、ナポレオンはイタリア風の「ナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ(Napoleone di Buonaparte)」からフランス風の「ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)」に改名しました。

ジョゼフィーヌとの結婚を契機にフランス人として生きていくことを決意したのだと考えられます。


デジレとの別れとイタリアへの出発

ナポレオンとジョゼフィーヌが結婚してすぐにジェノヴァから手紙が届きました。

◎デジレからの手紙

「あなたは私の残りの人生を不幸にしました。ですが私はあなたを許そうと思っています...あなたは私を愛していると言いませんでしたか?私は決して結婚せず、他の人と婚約することもありませんでした...私はあなたの幸福と繁栄を願っています。 あなたが選んだ妻が、私が行おうとしたように、そしてあなたにふさわしくあなたを幸せにしてくれることを願っています。ですが、あなたの幸せの真っ只中で、デジレを忘れないでください。 彼女に多くの憐れみを向けてください。」

おそらくナポレオンは結婚前後にジェノヴァにいる兄ジョセフに結婚することを知らせる手紙を送り、ジョセフ夫婦と同居していたデジレがそれを知ったのでしょう。

この手紙を読んだナポレオンはきっと申し訳ない気持ちでいっぱいだったのではないかと思います。

1796年3月11日夕方、シャントレーヌ通りにあるナポレオンの私邸前に馬車が停まりました。

ナポレオンは副官であるジュノー大佐を伴って馬車に乗り込みヴァランスとトゥーロンを経由するルートでニースへと旅立ち、たった2日間の新婚生活は終わりを告げました。